2008年08月29日
額谷小学校
東谷時間旅行とは、毎月発行のコミセン便り『がくたに通信』にて紹介している、東谷のいろいろな話である。
今回はコミセン便り『がくたに通信』の由来である『額谷小学校』について。
東谷コミュニティセンターの裏手にある青木商店。
その前を流れる天満川に架かる橋を渡り、坂を上って行くと大きな石碑が建っている。
その山手側に『額谷小学校』があったそうだ。
もともとは、高松藩の年貢米の収納所だったところを、維新の改革により学舎にしたとか。
『額谷農業補習学校』が付設されたり、『安原村立額谷国民小学校』や『安原村立額谷小学校』と校名の変遷を辿る。
明治の三村合併時に『塩江町立東谷小学校』となったが、一ヶ月後には境界線の変更に伴い、 『香川町立東谷小学校』となった。
その石碑の場所から現在のコミュニティセンターの場所に移転したのが、大正十五年と言われている。
昭和四十四年には、児童数が四十二名となり『川東小学校』に統合される。
『額谷』という、東谷の中心にあった思い出を何らかの形で残したく思い、センター便りの題名に引用しました。
今回はコミセン便り『がくたに通信』の由来である『額谷小学校』について。
東谷コミュニティセンターの裏手にある青木商店。
その前を流れる天満川に架かる橋を渡り、坂を上って行くと大きな石碑が建っている。
その山手側に『額谷小学校』があったそうだ。
もともとは、高松藩の年貢米の収納所だったところを、維新の改革により学舎にしたとか。
『額谷農業補習学校』が付設されたり、『安原村立額谷国民小学校』や『安原村立額谷小学校』と校名の変遷を辿る。
明治の三村合併時に『塩江町立東谷小学校』となったが、一ヶ月後には境界線の変更に伴い、 『香川町立東谷小学校』となった。
その石碑の場所から現在のコミュニティセンターの場所に移転したのが、大正十五年と言われている。
昭和四十四年には、児童数が四十二名となり『川東小学校』に統合される。
『額谷』という、東谷の中心にあった思い出を何らかの形で残したく思い、センター便りの題名に引用しました。
Posted by 東谷シスターズ at 21:31│Comments(0)
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